『スポンジ・ボブ』のある話で、カニカーニの元コックはスポンジ・ボブをこう評価した。彼は腕の良いコックだが、このゴミ溜めから一歩踏み出した後で、最高のコックになれる。そういう話だ。他の話も、この話の筋もすっかり忘れてしまったが、そのただ一つのセリフだけが、かえって記憶の中に鮮明に残っている。示唆に富んだ話だと思っているのだ。
人生には、様々なステージがある。ステージには、二つの意味がある。一つ目は舞台で、二つ目は段階だ。その舞台とは、単にある組織を指すとは限らず、自分を取り巻く環境にあるすべての関係を含んでいる。人生のある段階では、それらが自分に良い影響を与えてくれる。しかし、自分が成長するにしたがって、次第に、その関係が逆に自分を束縛てしまうかもしれない。そういう時、たいていは誰しも未練があったり、自信が持てなかったりする。でも、成長するために、居心地が良いが、勇気を出して、その環境から離れるべきだ。そうして初めて、さらなる成長が可能になる。
しかし、私はコンフォートゾーンのようなありきたりな表現を持ち出すつもりはない。これは、進むか、止まるか、どちらを選ぶのか、という問題なのだ。
この状況で、私なら絶対に踏み出す。私はそう思わせる経験と教訓があるからだ。それはお父から聞いた、私の祖母の話だった。私は田舎出身だ。祖母は大学入学試験に受かったが、学校が家から遠かったせいで、進学しなかった。もし祖母が大学に行っていたら、家族のすべてが違っていただろう。大都市に住み、もっと豊かになっていたかもしれない。でも、それらはただの幻想だ。過去は変えらないが、現在は私で決めることができる。私なら、絶対に踏み出そうと思う。こんな単純な思いが、幼い私の心に芽生えた。大人になった今でも、その思いは消えることなく、私はそれを信じている。
だからこそ、私は親密な関係を結ぶことが怖いのだ。そのような関係ができてしまうと、私は踏み出す勇気を失ってしまう。そうなることが怖くてならない。私は、立ち止まることと自分を失うことを、どうしても結びつけて考えてしまう。
かつて、ある友人にこう言われたことがある。「どうして君はいつも逃げているの?」。あのときの私にはまだわからず、彼女に答えられなかった。そうはいっても、今の私が完全に理解できているとも言えない。でもそれは私という人間の一部であり、私に大きな影響を与えている。
自分を知るのは、かなり難しい。変わることはさらに難しい。どうすればいいのか、まだわからないが、自分を愛してくれる人も、自分が愛している人も、傷つけないために、そして理想の自分になるために、少し立ち止まって振り返ってみた。
私はいわゆる成長というもとも考え直てみた。それはまた次回の話だ。
誰かのためじゃない これはぼくらの逃避行
好きに生きちゃおうよ どんな命も期限付きだしさ
ムリにかまう暇はないの いつも本気でいたいし
我儘なくらいが 多分ほんとはちょうどいいのさ
———— 「僕らの逃避行」- ヰ世界情緒&VALIS
令和8年8月18日